3.12に現れたスーパーヒーロー
まさき、まさきのお母さんは、本当に強くて優しくて、まさきの事を世界一愛してた。
まさきが幼稚園に入るまでは、どんな時もまさきと離れる事なく、ずっっーと一緒にいたよ。
どんなお母さんだったか、今は、まさきもお父さんはっきりと覚えているけど、人間はだんだんと記憶がなくなっていくから、いつでも思い出せるように少しずつ3人の思い出やお母さんの事を書いて残していくね。
今日は、まだ、まさきが、お母さんのお腹の中にいた時の話だよ。
2011年3月11日にとっても大きな地震が東北地方で発生して、たくさんの子供達、お父さん、お母さんが津波にのまれて亡くなった。
地震が起きた時、お父さんは東京にいて、会社の研修施設の5階で研修中だったんだけど、すごい揺れたよ。
その地震の影響で東京では、電車もバスも全部止まっちゃって、お父さん、家に帰れなくなっちゃったんだ。
その日は、研修施設の中に泊まることになって、お母さんにメールで、電車が動いてないから帰れない事を伝えて、その後もメールでやりとりしてた。
そしたら、夜に携帯の電池がなくなってね、しばらくの間、お母さんと連絡取れなかったんだ。
当時、お父さんとお母さんは、横浜の戸塚区に住んでて、戸塚は、お父さんもお母さんもとても好きな場所だったよ。
近所の公園からは富士山が見えるし、お母さんが大好きな横浜中華街には車で30分で行けるし、家の前でバーベキューはできるし。
お正月になると、家の近くを箱根駅伝のランナーが走るから、お母さんと一緒に箱根駅伝見てたんだよ。
実はね、お父さんも箱根駅伝に出たいと思って、関東の大学を受験したんだけど、全部落ちちゃった。
まさきは、お父さんよりも早く走れるようになるかな。
お父さんが泊まる事になった東京から戸塚までは、ちょうど箱根駅伝のコースになっていて、ちょうど2区間で、だいたい30kmぐらいだったから、次の日も電車が動かなかったら走って家まで帰ろうかと思ってたんだよ。
近くに寝てた人が携帯の充電器持ってたから、充電させてもらって携帯を見るとね、お母さんからメールが入ってた。
「今から車で向かいます」って。
お父さん、ビックリしたよ。
まさか、車で迎えに来てくれるなんて。
横浜も道路が陥没したり、信号機が止まってて大変な様子だったから、車に乗って東京まで来るなんて、男の人でもなかなかできないよ。
メールを見て、しばらくすると、黒いヴォクシーに乗ったお母さんがね
「お待たせ❤️」
って、現れたんだよ。
カッコよかった。
キラキラ輝くスーパーヒーローに見えたよ。
その時、お母さんのお腹の中にまさきは、いたんだよ。
だから、お母さんとまさき二人で迎えに来てくれたんだね。
地震で信号機は壊れてるし走ったこともない暗い道を、お母さんはきっと、まさきがいるお腹をさすりながら車を運転して来てくれたんだよ。
お母さん、すごいね。
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